解散から年月が経過した2026年の今なお、日本のエンターテインメント史における絶対的な金字塔として語り継がれる「SMAP」。1988年の結成から日本のトップアイドルへと上り詰めた彼らの軌跡は、順風満帆なエリートコースではなく、前代未聞の苦闘とイノベーションの連続でした。
今や伝説となった森且行を含む6人時代の熱気、デビュー当時の挫折、バラエティ番組への体当たり挑戦など、彼らが切り拓いた道は現在のアイドル文化の原点となっています。当時の秘話やメンバーの関係性を紐解きながら、なぜ昔のSMAPが社会現象を巻き起こすほどの国民的スターとなり得たのか、その核心に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:デビュー曲がオリコン1位を逃す苦境から、バラエティ路線を切り拓いて大逆転を果たした黎明期の奮闘
- 要点2:1996年の森且行の脱退理由と6人時代の絆、そして黄金期へと駆け上がった転換点の真実
- 要点3:『新しい地図』や各メンバーの活躍が続く2026年現在も色褪せない、圧倒的なレガシーと相互のリスペクト
【結成の経緯と黎明期】1988年結成から「売れない」デビュー直後のどん底秘話
SMAPの原点は1988年4月にさかのぼります。当時社会現象を巻き起こしていた光GENJIのバックダンサーグループ「スケートボーイズ」の主要メンバー12名の中から、中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾の6人が選抜されて誕生しました。グループ名は事務所の社長によって命名され、「Sports Music Assemble People」の頭文字を取ったものです。
しかし、結成から3年半を経た1991年9月9日にリリースされたデビューシングル『Can't Stop!! -LOVING-』は、オリコン週間チャートで初登場2位にとどまりました。当時のジャニーズ事務所所属グループとしては異例の「デビュー曲で首位獲得ならず」というスタートであり、歌番組の激減期(いわゆるアイドル冬の時代)も重なって、コンサート会場の客席が埋まらないという屈辱的な現実に直面します。
このどん底の危機感こそが、後のSMAPを唯一無二の存在へと変貌させるエネルギーとなりました。「歌って踊るだけでは生き残れない」と悟った若きメンバーたちは、誰も歩んだことのない未踏のルートへと舵を切ることになります。
【バラエティの革命児へ】『夢がMORI MORI』から始まったアイドル界のパラダイムシフト
アイドルの既成概念を粉砕したのが、1992年にスタートしたフジテレビ系バラエティ番組『夢がMORI MORI』へのレギュラー出演でした。当時、正統派アイドルがコントで顔を汚したり、体を張ったリアクション芸に挑むことはタブーとされていましたが、SMAPは果敢にその壁を打ち破りました。
特に番組内の名物コント「音松くん」では、メンバーそれぞれに強烈なキャラクターとイメージカラーが割り振られ、茶の間の認知度を一気に引き上げました。当時のメンバーカラーは、現在のイメージとは一部異なり、次のような色分けで親しまれていました。
・中居正広:青松(青)
・木村拓哉:赤松(赤)
・稲垣吾郎:桃松(ピンク)
・森且行:白松(白)
・草彅剛:黄松(黄色)
・香取慎吾:緑松(緑)
アイドルでありながら本気で笑いを取りにいく姿勢は視聴者に衝撃を与え、1996年4月には冠番組『SMAP×SMAP』(スマスマ)がスタート。初回視聴率22.4%を叩き出し、「BISTRO SMAP」や本格パロディコントを通じて、子供から高齢者までを虜にする国民的プラットフォームを確立しました。
【6人時代と森且行の脱退理由】涙のラストステージと固い絆の真相
昔のSMAPを語る上で欠かせないのが、グループ屈指の歌唱力と抜群のスタイルを誇った森且行の存在です。木村拓哉と並ぶエース格として人気を集めていた森ですが、グループが本格的なブレイクを迎えていた1996年5月、電撃的に芸能界引退とグループ脱退を発表します。
脱退の理由は、幼少期からの夢であった「オートレース選手への転身」でした。当時のオートレース養成所の年齢制限は23歳未満であり、当時22歳だった森にとって人生最後の挑戦の機会だったのです。周囲からの強い引き留めがある中、メンバーは彼の夢を尊重し、最終的に背中を押す決断を下しました。
スマスマで放送された「森且行 卒業スペシャル」で見せた中居正広の号泣と、メンバー全員で歌った『BEST FRIEND』は、今なおテレビ史に残る伝説の名場面です。森が去り際に残した「みんな、トップになれよ」という言葉を胸に、5人となったSMAPは結束を強め、真の国民的モンスターグループへと駆け上がっていきました。
【中居正広と木村拓哉の若手時代】圧倒的な二枚看板と当時の人気順ランキングの実態
グループの躍進を牽引したのは、同い年であり「2TOP」と称された中居正広と木村拓哉の存在でした。
木村拓哉は『あすなろ白書』(1993年)や『ロングバケーション』(1996年)などの大ヒットドラマで社会現象を巻き起こし、雑誌の「抱かれたい男ランキング」で前人未到の15年連続1位を獲得。一方の中居正広は、卓越したトーク力と人心掌握術を磨き上げ、25歳の若さで『NHK紅白歌合戦』の白組司会に抜擢されるなど、MCとしての確固たる地位を築きました。
当時のアイドル雑誌やファン投票による人気順ランキングでは、木村が圧倒的なトップを独走し、続いて森且行や中居正広、美少年ぶりが際立っていた稲垣吾郎が上位を争う構図が見られました。しかし、SMAPの真の強みは単独の人気にとどまらず、草彅剛の誠実な演技力や香取慎吾の天真爛漫なポップアイコン化など、全員が異なるジャンルでエース級の武器を持っていた点にあります。
【歴代ヒット曲の軌跡】ミリオン連発で社会現象へ登りつめた黄金期
音楽面においても、SMAPは従来のアイドル歌謡とは一線を画す洗練されたポップスを次々と世に送り出しました。初期のストリート感溢れる楽曲から、時代の空気を切り取ったメッセージソングまで、その軌跡は日本のヒットチャートの歴史そのものです。
・『がんばりましょう』(1994年):阪神・淡路大震災や不況に揺れる日本を明るく鼓舞した応援歌
・『SHAKE』(1996年):5人体制のスタートを決定づけた圧倒的アンセム
・『夜空ノムコウ』(1998年):スガシカオ作詞によるグループ初のミリオンセラー。教科書にも掲載
・『らいおんハート』(2000年):木村の結婚期と重なり爆発的な支持を集めた珠玉のバラード
・『世界に一つだけの花』(2003年):購買運動を経て累計300万枚を突破した平成最大のヒット曲
ブラックミュージックを取り入れた高度なトラックと、泥臭くも共感を呼ぶ等身大の歌詞世界は、ファン層を全世代のリスナーへと拡大させました。
【2026年現在の関係性】新しい地図・木村・中居・森が交差する未来への伏線
2016年末のグループ解散から時が流れ、2026年の現在、メンバーそれぞれの関係性には温かな変化が見られます。
稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾による『新しい地図』は映画・舞台・音楽で独自のカルチャーを確立し、個人事務所として活動する中居正広ともテレビ番組やイベント等で自然な言及や共演が実現するようになりました。また、日本選手権を制覇しトップレーサーとして走り続ける森且行と各メンバーとの交流も公に語られる機会が増加しています。
それぞれの道でトップを走り続ける彼らの根底には、あの過酷だった黎明期を共に戦い抜いた「6人の絆」が今も揺るぎなく存在しています。
【昔のSMAP】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:昔のSMAPの結成日とメジャーデビュー日はいつですか?
A1:グループの結成日は1988年4月で、CDデビュー日は1991年9月9日(シングル『Can't Stop!! -LOVING-』)です。
Q2:森且行さんが脱退したのはいつ、どんな理由からですか?
A2:1996年5月末に脱退しました。理由は幼少期からの夢であったオートレース選手への転身で、養成所の入所年齢制限(当時23歳未満)を迎える直前の決断でした。
Q3:昔のSMAPのメンバーカラーは最初から決まっていたのですか?
A3:初期は衣装ごとに色が流動的でしたが、『夢がMORI MORI』のコント「音松くん」などを通じてイメージが定着し、中居(青)、木村(赤)、稲垣(ピンク)、草彅(黄)、香取(緑)、森(白)がベースとなりました(後年、中居が赤、木村が青を着用するなど演出による変化も見られました)。
まとめ:時代を超えて輝き続けるSMAPという唯一無二のレガシー
昔のSMAPが切り拓いた「アイドルがバラエティで体を張り、個々の才能を別ジャンルで極める」というスタイルは、現在のすべてのボーイズグループの基礎フォーマットとなっています。逆境を跳ね返して時代を動かした彼らの物語は、今なお色褪せない輝きを放ち続けています。 (出典: 昔 の smap(Yahoo!ニュース))